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レースメモリアル

1977年から1989年にかけてJAF公式戦レースで戦った、青柳兄弟の貴重な写真をエピソードを交えながらご紹介させて頂きます。

 

RSアオヤギKP47スターレット
RSアオヤギ110サニー

1977年 RSアオヤギKP47スターレット

西日本サーキット(現在はマツダのテストコース)

 

この年から本格的にレース活動(上記画像はデビュー戦)を開始し、RS AOYAGIの歴史はここから始まりました。

決勝は22台程の出場で、6位完走を果たしました。

1978年 RSアオヤギ110サニー

西日本サーキット(現在はマツダのテストコース)

 

110サニーでのデビュー戦で4周まで3位を走行していましたが、ブレーキトラブルにより3コーナーで大クラッシュし、車両全損となりました。

 

 


RSアオヤギ110ADVANサニー
RSアオヤギ110ADVANサニー

1978年 RSアオヤギ110ADVANサニー  西日本サーキット(現在はマツダのテストコース)

 

当時、全国で7台しか存在しないADVANサニー(画像左上)のうちの1台がこれです。ヨコハマタイヤより車両やタイヤのフルサポートを受け 、ADVANカラーはメーカー承諾がないとNGな時代でした。

決勝はゼッケン35番の青いサニー(画像右上)を猛追し、ラスト2周の1コーナーで抜いて優勝を飾りました。

 

 

RSアオヤギ110サニー

 

1979年 RSアオヤギ110サニー

西日本サーキット(現在はマツダのテストコース)

 

一昨年前に全損した赤いサニーから復活!

再度、車両を一から製作しシェイクダウンのレースでいきなり優勝を飾りました。


RSアオヤギ310サニー
RSアオヤギ310サニー

1987年 RSアオヤギ310サニー  鈴鹿サーキット  シルバーカップ

 

九州から遠征してきてまだ名前が売れていない頃に、7戦目だったと記憶していますがポールポジション(画像左上)を獲得し、『青柳って誰だ!?』と場内が騒然となったのを今でも覚えています。

右側の赤いサニーはポールポジション&優勝の常連さんになります。

 

画像右上は一見、3位を走行していますが、鈴鹿はメインストレートでスリップストリームに入られると確実に抜かれてしまうので、先頭集団内で車間距離が無い場合には、わざと2位~3位を走行するのも駆け引きの手段となります。

 

 

RSアオヤギ310サニー
RSアオヤギ310サニー

RSアオヤギ310サニー
RSアオヤギ310サニー

1987年 RSアオヤギ310サニー  鈴鹿サーキット シルバーカップ

 

同年に兄(青柳秀明 ゼッケン78)も鈴鹿シルバーカップにデビューし、兄弟での参戦体制となった。

デビュー戦は予選5位で決勝は途中まで2位と好調であったが、ブローバイガスのホース抜けによるマシントラブルでリタイヤに終わる。 

同年に当店のお客さんもワンダーシビック(画像右上)にてレディースカップに参戦し、シリーズ同年内に2台とも優勝を果たしました。

 

 

RSアオヤギ310サニー
RSアオヤギ310サニー

1989年 RSアオヤギ310サニー  富士スピードウェイ

 

この年、富士スピードウェイで開催されるサニーレースは最終となるので、適正ギア比も分からないままテスト走行無しでシーズン途中から参戦。

デビュー戦の予選は17位という結果で決勝をスタートする事となったが、ギア比が合わずエンジンは最高で10,500回転の極限まで回す事となり、最終的には5速ギアがブローしてしまいリタイヤに終わる。

その後の最終戦では決勝6位まで上り詰める。

 

画像左上の右隅に赤いサニーが写っていますが、この車両はプロドライバーとして活躍されている影山正美選手がドライブするTOMEIサニーです。 自慢ネタになりますが決勝レース中に抜いた事があります!

 

富士ジャンボリー

■ 2016.4.10 富士ジャンボリーの結果ご報告

TSクラス 予選20台中9位で決勝に挑みましたが、1周目の1コーナーにて多重衝突に巻き込まれ、リタイヤ

という結果に終わりました。

残念なご報告となりましたが、ご支援くださった方々にはこの場をお借り致しまして深くお礼申し上げます。
青柳はこのままでは終わりませんので、飽くなき挑戦の気持ちで次回も参戦してまいります。